人の命の重さは同じではない

誤解されるタイトルである。

しかし、これは何も人間が平等ではないということをいいたいわけではない。

人々のために生きる人間、健全な愛を育む人、家族のいる守るべき人がいる人が存在するということは、それだけ人々に幸せを生み出しているということだ。

恋人を持つ、家族を持つ人は、生きて幸せを繋ぎとめる義務がある。

しかしそういう人ほど、自己犠牲的でありがちだ。

善良な人間ほど早死し、善良であるからこそ人々から尊敬されより多くの守るべき人を持つに至る。

だから、そういう人間が自己犠牲的であるというのは罪であるともいえる。

生きるべき人々なのだ。

逆説的に言えば、私のようなクズでも存在価値があると言える。

そういう人々の身代わりとなって、より多くの幸せを繋ぎとめることができるからだ。

それが自分の生きている意味なのだとしたら、意味のある死に方ができるまで生きるべきなのだと思う。こういう風に考えると、自己嫌悪にならなくていい。

いつか、人々の幸せのために死ねるのだから。