人間の尊厳を守るために。

最近、台湾有事が現実味を帯び始めている。

米中対立は決定的で、アメリカが台湾情勢に関してあいまいな態度を一貫して取ってきたことに対して、バイデン大統領はその見直しを進めているという。

また、麻生副総理は中国が台湾に侵攻すれば、日本は参戦するということを述べた。

日本が取るべき態度はなんだろうか?

戦争によって大勢の人間が死ぬことを決して日本人は望まないだろうから、

自衛隊の派遣に反対し物資などの支援のみを行うべきだと大勢の日本は言うだろう。

アメリカやオーストラリアで同様なアンケート調査をしたところ、半分以上が派兵に反対であったことからみても、アメリカ人やオーストラリア人も同様に思う。

そこで考えなければならないのは、中国の台湾侵攻の目的である。

一般的には、中国の台湾侵攻は元々中国の一部であった台湾を取り戻し、中国の統一を実現するということであるが、甚だ疑問である。

なぜなら、現に異民族である新疆ウイグル自治区を占領し、民族自決を否定しているからである。中国の真の狙いは、中国の統一ではなく原子力潜水艦を運用するための水深の深い海域を得ることではないだろうか?

しかしながら、台湾付近の海域はそこまで水深が深くないので、本当の目的は別にあると考える。

それは沖縄の併合である。

あるユダヤ人が戦後このようなことを述べた。

「ドイツ人は、目の前で不当に迫害されているユダヤ人をみても黙って見過ごした、

終戦間際になって、今度は同じ目をドイツ人が遭ったのである。」

第二次世界大戦前夜のイギリス・フランスの宥和政策によって、ナチスドイツが軍備を整える時間を与え、さらにポーランドに侵攻している間、無防備になったフランス・ドイツ国境戦線において満足に戦おうとさえしなかった。第一世界大戦での膨大な死傷者の見返りがあまりにも少なかったからである。

だから、我々が台湾有事をまるで他人事に見てはならないということだ。

目の前で隣国が、不当にも侵略され大勢の人間が殺されている状況を見て、

それを黙って見過ごすということがどれほど自分たちの首を絞めることにつながるか、それは歴史が証明している。

中国の覇権主義がこのまま続けば、私は対中戦争は避けられないと考える。

もちろん戦争によって大勢の人間が死ぬから絶対に避けなければならない。

それは、貧しくとも家族や友人と慎ましい生活をすることを望む平和を愛する人達まで巻き込んでしまうからである。

しかし、中国共産党一党独裁体制で言論を統制し現に異民族を弾圧しているから、

中国人の民意が反映されにくい。中国人は歴史的に見ても、外国との戦争を嫌い平和を愛する民族である。外国と戦争はせず冊封国とし独立を認めるやり方をみても明らかだ。

多くの中国人がどれだけ戦争を憎悪し平和を愛していたとしても、中国共産党一党独裁体制によって軍が動員されれば、中国当局の監視の目によって民間人は戦争に協力せざるを得ないようになるだろう。今のロシア人がプーチンの戦争に反対できないように。

次に、よく中国に攻められても戦わず降伏して中国人になるだの馬鹿なことを言っている言論人をよくみかける。

それは今に至るまでの先祖の努力や犠牲によって築かれた日本という国の破滅であり、

そして我々の子供や孫・子孫に一生中国人の奴隷として生きろと言っていること何ら変わらない。

なぜなら、中国との戦争は単なる二国間の戦争ではないからである。

一党独裁体制のもと言論と表現の自由を規制し、民族自決を否定している中国が、

平和を愛し国民が主権を持ち基本的人権が尊重され言論と表現の自由が約束された民主主義国家である日本を侵略するということであるからである。

確かに今の日本は駄目だと思うことは多いかもしれない、基本的人権の尊重だって全然守られていない、言論と表現の自由の規制も多い、日本の問題点はいくらでもある。

しかし、中国共産党とその指導者たちが、天安門事件を起こし大勢の優秀な学生を殺し、毛沢東主義によって農村を疲弊させ多くの中国人を餓死に追いやった事実を取ってみても、戦後から現在に至るまでの日本政府とそしてその指導者たちは、常に国民のためを思った行動をしてきたと言えるのではないだろうか?日本の厳しい食品安全基準で日本は何も考えないで食品を買えるが中国はそうではないし、国民皆保険制度によってどんな貧しい人でも医療を受けることができる。何事も相対的な観点が必要である。

そして本当に平和を愛し、自由を望むからこそ命をかけてもやらなければならないことがあると私は思う。

太平洋戦争当時の日本の軍上層部どれだけ無策無能を露呈させても、一端の兵士はただ祖国や家族を守るために戦ったに過ぎない。自らの命を犠牲にして散っていた神風特別攻撃隊員を非難するのは簡単だが、彼らが命を持って示したのは日本の軍国主義ではない。

自己犠牲が、人間の尊厳を生み出すということである。

他人を守るために自らを犠牲にする精神が、逆説的に人間の尊厳を生み出したのである。

利己的な人間しかいない社会には、決して人間の尊厳は生まれない。

100人が100人の利己的な欲求によって動く社会には、他人を尊重する意識さえなく争いや醜い争いの絶えない社会になる。

戦後、日本人は死に物狂いで働いた。戦争で荒廃した国にいながら、大勢の親族や家族を失いながらだ。

それが日本の高度経済成長を支えたのは言うまでもない。ドイツも同様である。

ではそれはなぜか、自ら進んで利他的に動く大勢の人間を目の当たりにしたからである。

自分たちだけ、生き残り、、そして自分たちのために死んでいった大勢の人間を目の当たりにして、

初めて人は他者や社会、また子どもたち、孫、子孫のために動こうとする意欲が心の底から湧き出てくるものだからである。

だから、特攻隊員は全く無駄ではない、それどころか今日に至るまで多くの人間に感動を与え、それが他人を尊重することの意味と、そして人の尊厳を理解する助けとなっている。

現代の日本人が、もし侵略者に対して一切の抵抗をしないで利己的な行動に終始し、万が一にも占領されるようなことになれば、日本人の尊厳は失われ、我々の子孫は何世代にもわたって苦渋をなめることになるだろう。

 

最後に、私は何よりも基本的人権の尊重と表現と言論の自由を尊重するから、

それを守るために、また自己犠牲的精神が人間の尊厳を生み出すことをわかっているから、不当にも他国が日本に侵略してくれば、戦うつもりである。

それが先の大戦でみんなのために死んでいった、いやみんなを守るために死んでいった我々の先祖に対してできるせめてもの恩返しだろう。

我々は決して、人間の尊厳を失ってはならない。

 

最後に、特攻隊員が死ぬ前に残した言葉を載せておこうと思います。

 

Cited from wills of Kamikaze soldiers.

“As an engagement partner of yours, as a man that’ll soon perish, I have to state one thing before I go. I will always wish for your happiness. Do not be tied to the past. You do not live in the past. Forget the past with courage, and live your life with vitality. You will live every single moment of your life in the real world. Unfortunately, I do not exist in the real world anymore. I want to see you, talk with you. Unbearably.”

“I might never be able to see mother’s face again. Mother, please show me your face for one last time. However, I do not want to leave any keepsakes. Because decades after my death, my keepsake will make mother cry. Mother, the day I leave Kouriyama, I will fly over our house. That will be my final farewell.”